名前
佐井 泰仁さん
職業
弦楽器職人
概略
東京で弦楽器の製作・修理・調整の修行を積んだ後に、2017年10月に下諏訪町へ移住。

東京で弦楽器の製作・修理・調整の修行を積んだ後に、2017年10月に御田町商店街に弦楽器工房「LIUTAIO HIROTO SAI(リウタイオ ヒロト サイ)」を開いた佐井泰仁さん。開業から7年経ち、現在は諏訪圏だけでなく、松本市や伊那市等、さらには県外の山梨県などから、大切な楽器を持ってお客さんが来訪されます。

工房は商店街の路地から中の様子が見え、下校途中の子どもや近所の人たちも気軽に覗くことができます。そんな町とゆるやかにつながる工房を営む佐井さんに、移住のきっかけや下諏訪町の魅力、今後の想いについて聞きました。

日本最古のアマチュア交響楽団が生まれた町

ーまずは、佐井さんのこれまでの経歴を教えてください。

セロ弾きのゴーシュに憧れて10歳からチェロを始めて、途中野球に打ち込んだ時期もありましたが、大学で哲学を学ぶ中で哲学の藝術的側面、あるいは藝術の哲学的側面への興味が強くなり、再びチェロを手にしました。管弦楽団などでも演奏していましたが、音楽の素晴らしさを体感するとともに、音楽を支える楽器というものに強く興味を持っていきました。

弦楽器の職人の世界は10代から勉強する人も少なくなく、長い修行が必要なので、大きな葛藤はありましたが、様々なご縁の中で本場イタリアのクレモナで日本人として功績を残したマエストロに師事するきっかけをいただき修行の道に進みました。その後5年間程の貴重な時間を過ごさせていただき、自ずと独立することになりました。
屋号につけている「リウタイオ」は、弦楽器製作者を意味する古くからあるイタリア語です。自分の名前を屋号に入れることは気恥ずかしいですし、「リウタイオ」という言葉も耳慣れないと思いますが、自分自身の責任において仕事をする。またしっかりとした「楽器つくり」になりたいという思いを込めてつけました

工房の壁には、手入れされた道具たちがずらりと並んでいます。

―開業をする場所として下諏訪町を選んだ理由を教えていただけますか?
色々と不安もありましたが必要とされる場所で仕事をしたい、できれば生活の場としても豊かな場所を選びたいと思い、何となく地方で開業することを思い描いていました。
そこで移住先を検討している時に東京で開催されていた移住フォーラムに出たのですが、そうしたら下諏訪町に何か惹かれるというか、ピンとくるものがありました。そこで説明をしてくださった役場の方からも、とにかく一度足を運んでみてほしいと熱心に勧誘してくださいました(笑)
高校時代から野球部の合宿で毎年下諏訪町に来ていたことを思いし出し、声をかけてもらった時にはご縁を感じましたね。

調べているうちに、大正時代から続く日本で一番古いアマチュア交響楽団があることも分かり、さらに興味を持つようになりました。宿場町だった下諏訪町は、当時は三味線やお琴のような芸事がまだまだ主流の町。弦楽器を教える先生もあまりいなかったようなのですが、自分たちの手で音楽をやりたいという熱意を持った人たちが互いに教え合いながら発展してゆき、楽団となっていったそうです。

仕事ではないにも関わらず、熱意を持って音楽に取り組んできた歴史を知り、そこに文化の本質を見た気がして、さらに下諏訪町に興味を持ちました。

―町にそんな歴史があったんですね。

元々松本市に日本のヴァイオリニスト鈴木鎮一氏によって創始された「鈴木メソード」という音楽教育の活動があるんです。その活動もあり長野県全域でヴァイオリン文化が根付いていたことも、後から知った発見でした。
こうした歴史や文化を知ることで、自分のルーツがこの下諏訪町でひとつの線に繋がった感覚があり、下諏訪町に移住することを決めました。

―工房というと、人目につかずひっそりしたイメージがありますが、この店舗は路地に面してオープンで明るいですね。この場所はどのように見つけたんですか。

都心だとマンションの一室で工房を開く職人も多いのですが、日常の景色の中に音楽があることを大切にしたかったので、人の目に触れるところに工房があることが大事だと思っていたんです。でもこれが、なかなか難しくて。不動産屋さんでも探していましたが、なかなか見つからず…町の人を訪ね歩いたりと、暗中模索しておりました。

下諏訪町内でと考えていたのですが、御田町商店街の方から、御田町の物件をシェアしてもいいというデザイナーさんを紹介していただき、物件が決まりました。物件が見つかるまでは約1年ほど。あらゆることがそうですが、意思を通すというよりは、良いご縁に恵まれてたどり着いたという感じですね。

文化と歴史の重なりが、町の懐の深さを作る

―最近は消防団への参加など、地域の活動にも参加していると伺いました。佐井さんから見て、下諏訪町の魅力はどんなところにありますか。

人と歴史だと思います。
移住者が増えているとはいえ、外から見ると必ずしもかつてのような活気に満ちているとは感じないかもしれません。ただ、この町が辿ってきた、起源のわからない御柱祭、江戸時代の中山道と甲州街道の交差点としての宿場町、大正時代に生まれた交響楽団、明治昭和の生糸産業と、その道のりを調べていくうちに、自分自身にリンクしていくようなキーワードが次々と出てくる感覚がありました。

その土地のことは、住んでみないと深いところまでわからないと思います。私自身下諏訪町で実際に生活をしていく中で、この歴史が今の下諏訪の人や雰囲気を作り上げているのだなと、しみじみ感じるようになりました。今だけを切り取って評価するのでなく、そこに至る過程を知ったとき、下諏訪町の文化や歴史にとても魅力を感じました。
自分の五感をすましてみてみると色んなものが見えてくる街ですし、どこに興味や価値を見出せるかだと思います。そういう意味で、とても懐の深い町だなと感じています。

今は消防団にも入っていますが、地域活動を通じて本業だけでは終わらない人付き合いができるのも、下諏訪のいいところだと思います。
「文化は辺境に残る」ではないですが、下諏訪では、町の人が声をかけてくれることが意外と当たり前に残っていたり、望めば祭にも主体的に参加できます。町内のみんなの顔が見える環境の中で生活ができるというのは気持ちのよいことのように思います。子どもにとっても、たくさんの人に気にかけていただきながら成長できるということはいい機会だと思います。

工房が日常の風景に当たり前に溶け込む。

―最後に佐井さんの今後の展望を教えていただけますか。
昔と比べれば、音楽をやってみたい、また再開したいという気持ちが叶えられる時代になりました。一度好きになれば、手放せなくなるのが音楽ですし、この土地にはそれを支える歴史があります。そのためにも、この工房が町や商店街にとって当たり前の景色になりたいです。

工房を開いて以来、この場所は一風変わった不思議な場所と見えるかもしれません。しかし、弦楽器に親しまれる方が昔から多い地域ですし、この町に弦楽器の工房があることが日常の風景になると良いなと思います。その延長に、音楽が日常の中にあるものとなるのではないかなと思っています。

通りからは、工房の中の様子がよく見えます。登下校中の子どもたちが足を止めることもあるそうです。
佐井 泰仁さん

LIUTAIO HIROTO SAI(リウタイオ ヒロト サイ)代表/弦楽器職人/1987年埼玉県生まれ。幼少期からチェロを始める。大学院(哲学/美学)卒業後は、弦楽器職人の師匠に師事し修行を積む。2017年8月に下諏訪町に移住、2017年10月LIUTAIO HIROTO SAIを設立。弦楽器の制作・修理・調整を行う。奥様、娘さんの3人家族。