諏訪圏内のゲストハウスとして知名度も高い「マスヤゲストハウス」。開業したのは茅野市出身の斉藤希生子さん。旅で訪れる方から地域の方まで、多くの人にとっての出会いと交流の場となっているマスヤゲストハウスを開業した経緯や、開業の地として下諏訪を選んだ理由をお伺いしました。
人との距離がすぐ縮まる。ゲストハウスの魅力。
―下諏訪に移住するまでの経歴をお伺いできますか?
生まれは茅野で、大学進学で東京に出ました。大学4年生の時に行った世界一周旅行でゲストハウスに宿泊する体験をして、「いつか自分でもこんな場所を作りたい」と思ってからは、それに向けて具体的に動いていった感じですね。
大学卒業後はアルバイトで貯めたお金を使って語学留学に行って、そのまま海外のゲストハウスを巡りました。東京に戻ったらゲストハウスでノウハウを学びたいとも思っていたので、海外にいる間に東京のゲストハウスのオープニングスタッフ募集に応募して、帰国後はそこで1年半ほど働かせてもらっていました。
―ゲストハウスのどういった点に魅力を感じたんですか?
ゲストハウスって宿泊している人同士の距離が縮まるのがすごく早いんです。一人旅の人が多かったり、一晩を過ごす「旅先の家」のような場所だからということもあって、気持ちがほどけやすいというか。「そんなこと言っていいの!?」って思うような相談をいきなり受けたりとか(笑)。
そういう風に人と出会って交流できる場所というのが、私にとっては初めての体験で。こんな場所を自分でも作りたいなと思いました。
「あそこに行けば面白いことが待っているかも」と思ってもらえる場づくりを。
―東京のゲストハウスを辞めて、自分で開業しようと思ったきっかけはあったんですか?
1年半勤めた東京のゲストハウスでの体験がきっかけになっているかなと思います。ゲストハウスの仕事って、朝から晩まで続いて、暮らしと仕事の境目が曖昧なんですよね。なので、仕事のことだけではなくて、「どんな暮らしをしたいか」も重要だと感じるようになって。そう思った時に、東京じゃないかもなって思うようになったんです。
そういった想いもあって、自分の開業の地を探すために全国各地のゲストハウスを巡っていた時期があるんです。けど、ゲストハウスありきで行くので全然その地のことを知らなくて。知らないから、そこの宿のオーナーにその土地のことを聞くじゃないですか。そうすると、色々な人に自然と出会って、暮らしに近い旅ができた感覚があったんです。それで好きな土地とまた会いたい人が各地にどんどん増えていって。この経験の中で、自分のやりたいゲストハウス像みたいなものが見えていったんです。
元々は、宿泊施設は観光客が利用する場所=行きたい場所の近くにあるものだと思っていたので、当然東京や京都など人がたくさん来る場所でやるものだと考えていました。実際、東京の宿は毎日たくさんの方が泊まりにきて、出会いの場面は本当に多かったのですが、お客さんたちの目的地は元々決まっている、という感じだったんですよね。
―ご自身が経験されたような旅の体験を提供されたいと思ったんですね。
素泊まりだからこそ、一晩の滞在で地域のことを深く知ることができて、地域に「ここ好きだな」と思える場所が増えていく。そういう感覚を提供できる場を作れたら、と思いました。そう考えていくと「そういう場所があるのが地元だったら、地元の諏訪を好きになってくれる人が増えるのかも?」と自然に考えるようになって、地元に帰る選択肢が生まれました。
私は大学進学までずっと茅野に住んでいて、「毎日同じことの繰り返しで退屈だな」と思っていたので、元々は地元に帰るという選択肢は全くなかったんです。でも、人を通して様々な価値観に触れられるゲストハウスみたいな場所があったら、自分と同じように「地元は好きだけど住むのは退屈」という気持ちを持っている人たちが、「あそこに行けば面白いことが待っているかも!」って思ってくれるかもしれないなと思って。小さくてもそういう場所が作れたらいいなっていう気持ちにふっとなったんです。自分の作った場所がきっかけで地元を好きになる人が増えたら、それってすごく嬉しいなと思ったんですよね。
欲しいと思っていたコンテンツがぎゅっと集まる町。
―それで地元に戻ることを決められたんですね。下諏訪を選んだのはなぜですか?
最初は諏訪6市町村のどこかで開けたら、と思っていたので、まずは各地域を歩き回ってみるところから始めました。
そうして改めて町を眺めると、元々あったけど自分が知らなかったことや新しくはじまっていることがたくさんあって。「毎日同じことの繰り返しで退屈な地元」は、実は知らなかっただけでもう十分面白くなっていて、「魅力がバレていないだけなんだ!」って実感したんですよね。その感覚が下諏訪は特に強かったんです。
あと、宿の客層として海外からのゲストや学生さんなど、車を使って移動する方が少ないだろうと想定していたので、公共交通機関を使って来れるところや、歩いていける距離に色々なお店やコンテンツがあったりというのも、ゲストハウスを開く土地としてベストだなと思いました。
―下諏訪に来た時に印象に残っていることってありますか?
茅野にずっと住んでいたのですが、そもそも下諏訪のことって全然知らなかったんですよね。町中に天然温泉がこんなにたくさんあることも、諏訪大社が歩いていけるところに2つあることすら知らなかったんです。あんなに身近にあった諏訪湖も、改めて歩いて行くと、冬の澄んだ空と湖の綺麗さにすごく感動して。そのあとご飯を食べようと思って入ったCafé TAC(下諏訪のカフェ)さんでは「何このガレット!すごい美味しい!」とまた感激して…(笑)。
あとは駅前のはっこさん(下諏訪駅前の美容室)とかすみれ洋裁店さん(下諏訪の裁縫と美術のお店)とか…自分の地元にはないと思っていたような魅力的なお店がたくさんあって。今は休業中ですけど駅前の喫茶店のgatohaさんも。私、東京に住んでいる時にカフェや喫茶店によく行っていたんですけど、今まで行った中でも「一番ドンピシャに好き!」と思えるお店で。
そんなお店が地元にあったなんて!という衝撃と共に、「こういう場所を泊まりに来てくれたゲストの方に紹介できたら絶対満足してもらえる!」って思えてきて。宿を開く自信につながったことを覚えています。
東京にいた頃は行きたいお店をわざわざ移動して回っていたのに、この町にはいいなと思う場所が集まっている。でも、こういうことを知らずに、自分と同じように「何もない」と思って地元を離れた人もたくさんいるんだろうなと思って。なので、宿をやることでこういう町の魅力を外に向けて発信できるようになることにも意味を感じました。ゲストハウスは外から来た人が情報を持ち帰ってくれるから。
多くの人の想いが乗った場所を、引き継いでいく。
ーこの物件はどうやって見つけたんですか?
法規制や設備投資の問題もあって、旅館だった物件があればラッキーだなぁと思いつつ、不動産情報や空き家バンクなどで探していました。日々下諏訪開拓もしていたので、町の方にも物件のアドバイスいただいていていました。そんな中、すみれ洋裁店のみどりさんから「建物を壊さず、活用方法を考えているチームがあるよ」という話を聞いて、お隣でお店をやっていた安田さんという方を紹介していただいたんです。
そこからはとてもトントン拍子で話が進みました。こっちに帰ってきたのが2014年の1月で、物件を紹介してもらったのが2月。3月には大家さんに会って、4月に工事を始めて7月にはオープンしていました。
―物件の交渉もスムーズにいったんですね。
そうなんです。ここはもともと「ますや旅館」という旅館で、廃業して20年が経っていました。大家さんは関東にいらっしゃって、後を継ぐ方もいないから定期的にお掃除だけしに来られるような感じだったんですけど、それもなかなか大変じゃないですか。だから3月までに次使う人が見つからなかったら壊す予定だったそうなんです。
それはもったいないからということで、町の方々何人かがチームになって、「サイクリングをした方がそのまま泊まれるホテル」みたいな企画を考えていらっしゃって、図面も出来上がっていました。けど実際これ誰が運営するの?となったタイミングで私が現れて。「やる人いた!」みたいな感じだったと思います(笑)。そういう地域の方々との出会いと応援もあって、とてもスムーズに借りられることになったんですよね。
―改装はDIYでやられたんですよね?
はい、メインで関わってくれたメンバーの他にも東京で働いていたゲストハウスのお客さんや地元の友人が改装工事も手伝いに来てくれて。3ヶ月で改装したんですけど毎日誰かいる感じで、ここでみんなで寝泊まりしながら作業をしていました。
作業中は毎晩、町のお風呂に行っていたんですが、そこで居合わせたおばあちゃんに「ますや旅館ってところを改装して宿にしようとしてるんです」と話すと、「あそこの塀越えて忍び込んだりしたわね」とか「温泉だけ入らせてもらったわね」なんて話をたくさん聞いて。
そんな話を聞いていたら、「ますやは明治からこの場所で町の変化を見てきて、訪れた人や、ますや旅館のある町で暮らしてきた人、色々な人の想いが乗った場所なんだよな」ということを改めて感じたんですよね。それで、そういうものを引き継ぎながら、新しい人たちの来る場になるといいなという想いが強くなっていきました。それで「マスヤ」という名前と、元々旅館にあったいろんなものたちを引き継がせてもらおうと決めたんです。
―これまで積み重なってきたものを引き継いでの「マスヤ」なんですね。運営している中で大事にされていることってありますか?
下諏訪という場所を知らない人たちに、人や場所・想いも含めたこの土地のことを知ってもらえたり、それがきっかけで移住してくれる人が増えていく…そんな風に、何かと何かの間を繋ぐ役割をしていたいなという想いがありますね。
ここの周りに面白い場所や人が増えて、住んでいる人にとっても楽しみが増えて、外から来た人もそうやって暮らしている人と触れることで「また来たいな」「下諏訪っていいな」って思ってもらえる…そういう積み重ねが生まれていく場所にしたいなと思っています。
面白い大人がたくさんいることが町の価値。
―改めて、下諏訪の魅力ってどういうところだと思いますか?
さっきもお話しした通り、良いものがぎゅっと集まっているところはすごいなって思います。あとは面白い大人がいっぱいいるところ。下諏訪のお店って、店主の方たちが「自分のやりたいことをやっているな」って思うんですよね。そんな大人がいっぱいいて、そういう人たちと出会えると、価値観変わったりするよなって思っていて。泊まりに来た人たちも、そうした人との出会いがあると1回じゃ終わらないんですよね。その人たちに会いに、また来てくれる。
―斉藤さんはお子さんもいらっしゃるのでお伺いしたいのですが、子育てという観点だとどうですか?
子供を連れて行ける場所が多いのは良いですよね。あと、子供にとっても色んな大人と出会えるということは魅力だと思います。
下諏訪って、大人たちの子供に対する向き合い方が素敵だなと思っていて。 毎年三角八丁(下諏訪で春と秋に開催される催事)でやっている「少年少女の星コスモス」っていう企画があるんですけど、その企画、設定とか世界観とか、コンテンツの作り込みがすごいんですよ。全然子供騙しじゃないんです。元々が「子供の頃の楽しかった記憶を作ってあげたい」っていうことから始まっているらしいんですけど、大人たちが本気になってそういう構想をしていること自体がすごいなって思ったんですよね。
子供とまっすぐ向き合ってくれる大人がいるって、大切だと思います。子供の頃って親と先生くらいしか触れ合わないから。下諏訪はそういう意味で、面白い大人と関われる機会がたくさんあるなと思いますね。
―最後に今後チャレンジしてみたいことがあればお伺いできますか?
開業当時から、下諏訪にないものを埋める、みたいな役割は担いたいなと思ってきたんです。けどマスヤも10年経って、自分の環境、町の環境も変わって来た中で、埋めるべきものも変わって来ていると思っていて。旅人と地元の人が関われるお店も増えたし、移住相談の窓口も増えて来ているし。なので、そういうところは担わずに、役割を変えていくこともできるのかなって思っていて。
たとえばですけど、ファミリー向けの場所として、個室をもっと増やしていくとか、町全体に泊まるという感覚で楽しんでもらう上で宿泊の質をもう少し上げていくとか、そういうことはしてもいいのかなと思っています。
変化があって、「楽しいな」と思うことが年々増していっているこの町は、やっぱりいい町だなと思います。住んでいるとそういうことを色々な場面で感じるんですよね。
斉藤希生子さん
長野県茅野市出身。大学在学中に行った世界一周旅行でゲストハウスの魅力に触れ、大学卒業後は語学留学を経て都内のゲストハウスへ勤務。その後2014年に下諏訪に移住・開業。