ここ数年、レストランや居酒屋、デリ、パン屋など、移住者による飲食店の開業が相次いで、賑わいを見せている下諏訪町。
飲食店を開業する理由は人それぞれですが、下諏訪町を選ぶのには、ここでしか食べられない食材や水の存在が大きいと言います。ここでしか食べられないということは、すなわち”その土地にある食材に向き合う“ということ。そのためには、これまでの自分の技術や調理方法を見直すこともあるそうです。
今回は、駅前オルゴール商店街にある本田食堂の本田 由剛さん(ほんだ ゆうごう)さんに、開業の地として下諏訪を選んだ理由や魅力、料理へのこだわりについてお伺いしました。

異業種から飲食業への転身

―下諏訪に移住するまでの経歴をお伺いできますか?

生まれは神奈川県です。大学卒業後は飲食ではなくて、東京でシステムエンジニアをしていました。仕事中心の生活で、健康維持のために24歳の時にキックボクシングを始めたんです。習い始めた翌年にはアマチュアの試合に出してもらえるぐらい夢中になっていましたね。

―最初から飲食の道を選んだわけではなかったんですね。何か転機があったんですか?

キックボクシングの試合に向けて、毎回減量しなくてはいけないんですが、それがとても辛かったんです。お腹いっぱい食べたいけど、減量もしなくちゃいけない。それで、たくさん食べても太らない料理を自分で作ろうと思ったのが、料理を始めたきっかけでした。
そこから料理の楽しさに目覚め、自信がついてきたこともあり、家族や友人にも自分の料理を食べてもらう機会が増えていきました。その時に「美味しい!」と喜んでもらえることがとても嬉しくて、飲食業に興味を持ち始めたんです。日々進化するI T業界に、この先もついていけるかという漠然とした不安もありましたし、食べることは、生きるということを実感できる、素晴らしい仕事だなとも思うようになりました。それで平日はサラリーマン、土日は飲食のアルバイトという生活を始めました。

もう1つの転機は、旅の経験ですね。助骨を骨折して練習ができない時期に、1週間ほどタイに行ったんです。本場のムエタイを見たかったのと、タイ料理が好きだったからですが、そこで旅の面白さに目覚めてしまって。それがきっかけになって27歳でサラリーマンを辞めて、バックパックで世界を周りました。この旅で世界中のバックパッカーと出会い、いろんな国の料理をみんなで食べて、それがとても楽しかった。せっかく世界中の美味しいものを経験したから、これを活かした料理人になりたいなと。みんなが近い距離で、自分の料理を楽しんでくれるようなレストランを作りたいと、漠然と思うようになりました。それで帰国後は、料理人としての修行を本格的に始めることになります。

生産者さんとの距離の近さに惹かれての移住

―東京にいた本田さんが、下諏訪に来たのはきっかけがあったんですか?

上諏訪のレストランの立ち上げをしていた先輩シェフに「諏訪に来ないか?」と声をかけてもらったんです。
諏訪エリアとは縁もゆかりもなかったんですが、思うように成長できず悩んでいたタイミングだったので、とにかく料理にだけ向き合える環境に行きたいと移住することにしました。地方に住んでみたい、野菜を勉強してみたいという気持ちも以前からあったので、ちょうど良いタイミングでした。

―それが諏訪に来たきっかけだったんですね。開業の場所として下諏訪を選んだのは、なぜですか?

上諏訪のレストランで働いていた時に、38歳までに独立すると決めて働いていたので、資金計画や物件のリサーチなど、独立の準備も進めていました。
そんな時に、下諏訪のマスヤゲストハウスのオーナーの斎藤さんと知り合って、将来飲食店をやりたいことを話したら、マスヤでイベントをさせてもらえることになりました。それが、月に1度マスヤで開催していた「ビストロホンディ」という料理イベントです。多い時には40人ほどの人が来てくれて、マスヤのリビングから人が溢れるほどの盛況でした。ちょうど上諏訪のレストランで料理長をしていたタイミングだったので、それはそれで忙しくて、仕事が終わって徹夜でイベントの仕込みをして、翌日はイベントをするという。その生活を約2年間続けて、イベント回数は25回になっていました。我ながらよくやったと思います。
自分が本当に作りたい料理を毎回提供して、それをお客さんが喜んでくれて。ここでの経験が、自分の自信につながりましたし、今でも続く下諏訪の人たちとの縁になっています。独立するなら、下諏訪でと決めたのも、このイベントのおかげです。それで、39歳の時に独立しました。

物件が見つからない

―下諏訪での人の繋がりもあったので、物件探しは順調に進んだのでしょうか?

それが意外とそうでもなくて。極端に物件が大きかったり、小さかったりと、自分のやりたいお店のサイズで探すと、物件探しは難航しました。ただ、イベントのつながりで湯田坂にあった店舗のオーナーが期間限定で自分のお店を貸してくださることになって、最初のうちはそこで営業していました。営業の合間に、不動産屋さんに行ったり、町の集まりに顔を出したりして、物件を探す日々でしたね。

-今の物件はどうやって見つけたんですか。

元々駅前のオルゴール通り商店街がいいなとは思っていて、今本田食堂があるこの物件も気になっていました。ちょうどそのタイミングで、昔この場所で飲食業を営んでいた方の息子さんと知り合って、その方からオーナーさんを紹介してもらうことができたんです。
でも、外観が朽ちてボロボロだし、店内にも荷物が置かれて倉庫状態で、しかも築90年以上経っていると聞いて、素人考えで無理だろうと思っていたんです。ただ場所が良かったので、どうしても忘れられなくて…。
それで、物件探しの時から相談にのってもらっていた、下諏訪町内の建築事務所Layer Architects + Open Designの宮澤さんに見てもらうことにしたんです。そうしたら、宮澤さんが「リノベーションできますよ!」って太鼓判を押してくれて。まさかの答えに驚きはしましたが、古くなった見た目や傾きはありながらも、良い資材が使ってあったので、きちんと手を入れたら良いレストランが出来上がると伺って、「それなら」と開業することを決めました。

水色のシャッターが降りているのが、リノベーション前の本田食堂。築90年で、巻き寿司屋、カメラ屋、時計屋、自転車屋など、時代に合わせてお店が変わってきた。

―改装はDIYでやられたんですよね?

はい、もちろん大工さんの手を借りているところも大きいですが、マスヤのイベントで知り合ったお客さんや前職の同僚が改装工事を手伝いに来てくれました。毎日、誰かが手伝いに来てくれましたね。内装の壁も外装の壁も自分たちで塗っているので塗りむらがあるんですが、それがいい味に仕上がっていて、みんなで喜んだりして。
この他にも、ドアや窓枠などは町内の木工作家さんにお願いをして造作で作ってもらったり、丸テーブルと椅子は町内の古道具屋「ninjinsan」から調達してきました。DIYは初めてだったので本当に大変でしたが、いろんな方に参加いただいたので、この場所への思いは特別です。

リノベーション後の本田食堂。通りに面している窓越しに、本田さんが料理をしている姿が見える。
素材からメニューを考える幸せ

―本田食堂というネーミングの由来は何ですか?

肩肘はって食事をするというよりも、美味しいものを料理人と近い距離感で楽しめるお店にしたいと思って「食堂」とつけました。特別面白い話ができるわけではないんですけど、食べている時にちょっとお客さんが感想を言えるぐらいフラットに接することができたらいいなと思って。お店で提供する料理は、信州の食材を使った洋食をベースにした創作料理です。

お客さんと談笑できる距離感のカウンターテーブル。カウンターテーブルからは、その日に使う食材もよく見える。

―東京のレストランで働いていた頃との違いは何ですか?

東京にいると、「このメニューが作りたいから…」で仕入れをするんですが、諏訪に来たら逆だということです。その日採れた野菜からメニューを考える。これは信頼できる生産者さんが近くにいてくれるからできること。非常に贅沢だし、料理人冥利に尽きますよね。本田食堂では、常に近隣の農家さんとやりとりがありますが、生産者さんそれぞれで得意な野菜も変わりますし、収穫時期も非常に限定的だったり、何より天候に左右されるところも大きいので、「そろそろ、あの人のこの野菜が来るかな」という経験と勘で、最近はメニューを考えています。
この前は大雨の日に「今日はどこの農家さんも来れないだろうな」と思っていたら、そんな中で農家さんが「本田さんのために」と野菜を持ってきてくれて。東京にいたら手に入ることが当たり前で気づけなかったですが、当たり前じゃないことで成り立っていることに気づき、日々感謝しかありません。

―食材の味わいの違いもありますか?

晴天率が高くて寒暖差があるので、野菜に甘みや、濃さが生まれる傾向があると思います。あとは、豊な天然林から滲み出た清流が水源なので、水が柔らかくて美味しいんです。水の美味しさに合わせて、出汁の取り方を変えた料理があるぐらい。
本田食堂は野菜を使うことが多いので、食材の味わいを活かして、美味しさをさらに出せるようにと調理法にも気をつけています。

―最後に、これからの展望を教えてください。

お店を持てたことも、生産者さんと近い距離で料理ができることも、全て皆さんのおかげだと思っています。今後もひたすらに美味しい料理と笑顔を作っていけるように頑張っていきたいですね。
最近はオルゴール通りに出店をしてくれる人も増えて、通りが徐々に賑やかになってきたように思います。自分が周りの人に助けてもらったように、この商店街に来てくれる新しい事業者さんの助けになれるようにお手伝いできたらと思います。そうやって新しい事業者さんが増えて、商店街が盛り上がって、最終的には来てくださるお客さんが、もっと楽しくなったらいいなと思いますね。

本田 由剛さん

本田食堂 店主
神奈川県出身。2011年に東京都から諏訪市に移住。2019年8月より「本田食堂」をスタート。